「ほそログ」

かっせ@ほそうで管理人の「旧車ほそうで繁盛記Weblog」+「日常+PC+カメラ日記」

ドラえもん最終話と著作権とパクリとオマージュのあいだ


てことで、週アスの某コラムで話題の「田嶋版どらえもん最終話」について。
週アスの某コラムにあるとおり、ご本人が公開されていたHPでは削除されて読めなくなってましたが、
ココでまだ読めます。
今のうちに保存ほぞんですぞ。

この同人誌、なんだか1万5000冊ほどうりあげてしまったそうで、それはそれでデキも良いし、当然かとも思うわけですが、著作権、特にドラえもん関連のネットでの使用に敏感かつ強行かつ厳しい小学館がこれに気づき、圧力(や、抗議か?)をかけて潰してしまったようで。

わたしだって、はじめて買ったマンガは「ドラえもん」でしたよ。
小学校低学年だった当時、近所に本屋がなかったので、祭りの夜店で買った覚えがあります。
何度も何度も読み返したなあ。
そういえば、その19巻には「天井うらの宇宙戦争」とかいう話が載ってて、まーいわゆる「スターウォーズ」パロディな話でした。当時わたしはスターウォーズを見たことがなかったので、のび太に助けを求める「アーレ姫」ていうのがレーア姫のパロディだとか、敵の「アカンベーダー」がダースベーダーのパロディとか全然わからなかったりしたなあ。
で、この話、ドラえもんがリニューアルされてからもアニメ化されてるんよね。(2005年7月1日放送)
スター・ウォーズ エピソード3 シスの復讐」が7月9日から公開されるというタイミングで放送されているわけね。
なんというか、これ見てもジョージルーカスはもちろん怒らんやろし、訴えてきたりもしなかったんだろうけど(旧ドラえもんでも放送されている)、ドラえもんに限らず、物語にはよくあることですもんね。パクリじゃなくてオマージュですってゆーか、パロディです的な。
もはやこれなしに物語は始まらない。
「AKIRA劇場版」公開当時、大友克洋監督が「これからの物語はすべて”パロディ”にしかなりえない」と、アキラの番号が28なのは鉄人28号のパロディ・オマージュだみたいな話をしていました。

さて、長くなってきましたが、パクリとオマージュの間にあるのは、元ネタへの”愛”だと思うんですよ。愛。

パクリには”愛”がない。

では、この「田嶋版ドラえもん最終話」に”愛”はあるのか?
わたしには”ドラえもん愛”あふれる作品にしか見えなかったです。
なんというか、著作権を守る必要はないとなどと申す気はありませんが、先週の週アス某コラムにもあったように、この作品で誰が損をするのかと、そこですよねえ。誰も損しませんよ。むしろ、小学館はケツの穴の小ささでイメージが悪くなって損をするような気も。


みなさん考えたでしょうけども、
藤本先生(藤子・F・不二雄)が存命であったなら、どう思われたでしょうかねえ。