「ほそログ」

かっせ@ほそうで管理人の「旧車ほそうで繁盛記Weblog」+「日常+PC+カメラ日記」

日記1118

おじさんのお通夜1。

わたしは一応浄土真宗ということになっていますが、宗教は基本的に信じてなくて、あえていうなら科学信奉者です。なので、お通夜だとか葬式だとかは遺されたものたちの儀式としての価値は認めるものの、ご遺体を前にしてもなんだか実感というか感慨が沸かないなあというここ数年に、自分でもおかしいんじゃないかとか少しだけ悩んでいます。

通夜の読経が終わった後に住職さんが「末期の水」についてのお話しをされていました。

「末期の水」というのは、ご遺体に葉っぱでお水をあげるもので、これはこの世で最後のお別れの水であると同時に、転生したときの生(人間であるとは限らない)を生きることへの励ましであるとおっしゃっておりました。亡くなると極楽浄土へ行き、大日如来様によって次の生を与えられます、ともおっしゃっておられました。人間はもちろん、植物や「千の風になって」のように風に生まれ変わることもありましょう。ですから、次の生への励ましにもなるんですよと。

まあ、輪廻転生は仏教の教えのうちなんでありましょうが、仏教徒はその輪廻転生から抜け出し=悟りを開き極楽浄土に行く、という宗教じゃあなかったの?とか考えてしまってなんだか素直に別れを悼む気持ちになれませんでした。

やっぱわたしはオカシイんかな。オカシイんだろな。うん。