わたしのクルマライフ その1
さて、10年ほど前に「旧車ほそうで繁盛記 別館 悪魔の館」というWebページに書いたものを備忘録として転載します。
当時、姉のスターレットをアシにしながらトヨタに慣らされつつあったわたしが、中期型ジェミニのおかげでクルマの魅力を再発見したころで、本館ではなく別館に書いたのは、「おそるべきトヨタ」の陰謀にはまっていたことへの気恥ずかしさからだったのでしょうか。もしくは自分史ブームどんどんどんだったのかもしれません。
当時、姉のスターレットをアシにしながらトヨタに慣らされつつあったわたしが、中期型ジェミニのおかげでクルマの魅力を再発見したころで、本館ではなく別館に書いたのは、「おそるべきトヨタ」の陰謀にはまっていたことへの気恥ずかしさからだったのでしょうか。もしくは自分史ブームどんどんどんだったのかもしれません。
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ちょっと振り返ってみましょうか。
クルマに興味を持ち出したのは、いつの頃からなのだろう、と記憶の糸を辿ってみると、たどりついたのは保育園の時のスーパーカーブームであった。
当時、わたしはお絵書きが大好きで、なかでもスーパーカーばかりを書いていた。男の子がクルマをはじめとする乗り物に興味を持つことは良くある話で、わたしもたぶんにもれずにその類いだったのであろう。でも、フェラーリとランボルギーニ意外の名前は覚えなかったようだ。
そのあと、わたしの乗り物への興味は自転車やガンダムへと移り、中学生になると汽車(JRのディーゼル機関車。キハ××××というやつ)が好きになり、高校へは汽車通学することになる。
ちょうどそのころ、日本人初のF-1フル参戦ドライバーとして中島悟が注目され、TV中継が始まり、わたしは再びフェラーリの虜になっていた。とはいえ、もうすぐ運転免許証をとれる歳になるとバブル絶頂期でフェラーリなど買えようはずもない。ごくふつうに国産車のカタログを眺めたりしていたが、スポーツカーの中におさまる自分の姿をうまく想像できない。
「街の遊撃手」のCMを見たのも高校生の頃だったと思う。
欲しいクルマは?
という質問に「ジェミニかミラージュ」と答えていた頃もある。
きがつけば、ハッチバックのクルマにばかり興味を引かれており、当時大流行のシルビアやプレリュードにもさしたる興味も示さず、シビックやジェミニばかりが頭を占めていた。なかでもやはりF-1のイメージの強いホンダのクルマが欲しくもあった。
本格的に自分のクルマを考えはじめたのは、大学生になってからだ。
大学が交通の便の悪いところであったので、遊びにいくにもバイトするにもクルマは必要不可欠だった。それでも1回生の夏休みに免許を取り、なんとか原チャリだけで過ごしていた。
たしか、忘年会の時だった。
それまでも、寮の駐車場にピアッツァがいることは知っていたが、持ち主を知らずにいた。
忘年会の会場へ向かおうと、寮を出たら、玄関の前にピアッツァが停まっていて、中からNikiさんが降りてきたのだ。
当時、わたしたちのあいだでは、Nikiさんは学校で会えない人ナンバー1として有名で(失礼!)謎の人だったのだが、まさかピアッツァ乗りだとは、と驚いたことを今でも良く覚えている。
当然、忘年会でNikiさんに質問して、原物を見ずに購入して徹底的に内装や塗装をやり直して140万以上出したことや、毎晩走りにいっていることなどを聞いてさらに驚いた。
それ以来、わたしのなかでのクルマ欲しい熱が高まっていたが、実家にかえった時にふとオヤジに「くるまほしいな~」と言うと、あとで電話がかかってきて「買うてやる」との返事。
嬉々として中古車屋めぐりをして決めたのがGA-1シティだった。オヤジは最後までスターレットにしろと言っていたが、もしスターレットだったら、今こんな文章書いてなかったかも知れない。
当時、わたしがどうしても譲れなかったのは、
1 マニュアルであること
2 軽ではないこと
3 ハッチバックであること
4 誰も乗っていないこと
の、4つであった。誰も乗っていないという点では、そのシティ、水色と言うレアな色で、他には一度も見たことがない色だった。
それからは、しばらくふつうのカーライフをおくり、まあ、カーオーディオ(いまでも使っているKENWOOD)を自分で付け替えたり、アルミ(赤かった・・・)にしたりしていた程度だった。
そんな平凡なわたしが、現在へいたる転換となる出来事が、3回生になったころに訪れる。
わたしのクルマライフ その2 へつづく