「ほそログ」

かっせ@ほそうで管理人の「旧車ほそうで繁盛記Weblog」+「日常+PC+カメラ日記」

メンターと探偵。もしくは学ぶ力とハッピーエンドへの道。

わが師とあおぐ内田樹先生曰く
学校で子どもが経験すべきなのは、「なんだか訳のわからないもの」に取り囲まれ、「ルールがわからないゲーム」にプレイヤーとして参加しつつ、その中で適切にふるまうという試練である。
どのような不条理な状況の中にも、「それでも比較的条理の通った部分」はある。それを見つけ出すのが第一の仕事である。
私たちがどこでもそうしているように、「いったいここでは人々はどういうルールでゲームをしているのだろう」と当惑したときに、教えてくれそうな人を探して、その人に訊く。
「この人に訊けばわかりそうな人」を目を凝らして探し出す。
「私がどこに行けばいいのか教えてくれる」人のことを「メンター」という。
私自身は自分がどこに行けばいいのか知らない。
けれども、その人は私の行き先について知っている。
そういう人を見出さなければならない。

大人であるか子供であるかにかかわりなく、「ルールがわからないゲーム」に参加した場合、我々はメンターを探す。RPGで言えば町じゅうのNPCに話しかけてフラグを立てる作業である。しかし、現実がRPGと違うのは、メンターの情報が必ずしも正しいとは限らないところだ。メンターはこの「ゲーム」でのそれらしいふるまいかたを教えてフラグを立ててくれる。だがそのフラグは正義の味方フラグであるとはかぎらない。


今、あなたは、誰かを「いじめ」のターゲットとして集団の秩序を形成しているクラスに転校生として現れたと仮定しよう。
このような場合、目の前でフラグを立てようとしているメンターはいじめっ子の下っ端かもしれない。その導きによってたどり着く場所はいじめっ子の側となり、バッドエンドを迎える可能性を秘めている。別のメンターはいじめに加担しないように導いてくれるが、それは「傍観者」の立場であり、この場合もゲームはハッピーエンドにたどり着くことはない。
このゲームにおいてのハッピーエンドが「いじめの解決」なのかどうかもわからないとしても、外からやってきたあなたに割り当てられる役割は、「いじめの解決」をする探偵なのか、はたまた新たないじめっ子の下っ端なのか、傍観者なのか。あなたならどの役割を望むだろうか。

探偵役を望むのならば、いじめ首謀者の割り出しと対決に向かうか、もしくはいじめられっこが救われる方策を探るか、しかるべきメンターを探し出し、適切に選択していかねばならない。出口としてのハッピーエンドが何であるかもわからないゲームの中で正しい行き先を知っているメンターを探し出す能力、それこそが「学ぶ力」であり子供たちが身につけなければならない能力なのである。と内田先生は語っているとわたしは解釈している。

学校に限らずあらゆる社会において新参者は「ルールのわからないゲーム」の中に放り込まれるわけで、そのゲームの中で、あなたやわたしがどういう役割を果たし、振る舞おうと望むのか。わたしが常々考えているのは「どっちがカッコイイか」ということである。いじめられっこはもちろんカッコ悪いが、いじめっ子もそれ以上にカッコ悪い。カッコイイのは「正義の味方」に決まっている。「正義の探偵」のイスが空いてないときは「正しいメンター」を目指す。たぶんそれがハッピーエンドへの道である。近道とは限らないが、高い山に登るにはまっすぐ登っても転げ落ちるのがオチであるならば、曲がりくねった道でも前に進もう。


と、まー今日は代休なのでヒマもてあましてただけなんすけども、これがわたしが半年考え続けていた問題への答えのひとつ。もうひとつのほうはまたいずれ。