「ほそログ」

かっせ@ほそうで管理人の「旧車ほそうで繁盛記Weblog」+「日常+PC+カメラ日記」

日記0507_ブログは終わったのか?

さて、まーなんというか、今更ブログ論やるのも果たしてどうかとも思うけど、この勘違い記事に多くの人がツッコミを入れてるみたいなので、わたしも休憩時間に便乗して全文引用してみる。

読んでもつまらない 「ブログ」はもう終わったのか 井上トシユキさんに聞く(上)
 「一億総ブロガー」などと言われ、誰もが日記感覚で書く空前のブームが起きている中で、最近はブログを読むのがつまらなくなったとか、ブログなんか終わりだとか、そんな話を聞くようになった。その背景をITジャーナリストの井上トシユキさんに聞いた。

――「ブログはつまらない」という話をよく聞きます。

井上 日本のブログは「始まりから終わっていた」んです(笑)。アメリカでブログが注目されたのが「9.11 事件」の時。ニューヨークの電源ケーブルが落ちてしまい、メジャーメディアからの情報発信がままならないなか、郊外に住んでいたライターやジャーナリストがブログでリアルタイムの情報を発信した。それで、単なる論評や日記ではなく、メジャーメディアに対するゲリラメディア、あるいは草の根ジャーナリズムのツールとしてもブログは使えるね、と認識され発展していくわけです。ところが、当時の日本では、メルマガやテキストサイト隆盛で、ゲリラメディア=ブログというものに対しピンときてはいなかった。

――ところが、2003年頃から一気に注目されていきます。

井上 ライブドア堀江貴文元社長が火付け役になりましたね。ブログはIRツールだと定義したのですが、これが意外と大きかった。以降、経営者や芸能人、有名人が「一般」に対して「自分の情報」を発信するツールという色合いが濃くなってしまった。それまで、テキストサイトに対して作成、管理のハードルが高いと思って躊躇していた人も、手軽に始められるし、管理もブログ事業者がやってくれるし、コメント欄を通じて交流もできるから、これはいいや、と。「アルファブロガー」(影響力のあるブロガー)なる新語が出てきたこともあり、一般の注目も集めるようになったのです。

――で、どこが問題だったのでしょう。

井上 経営者や著名人に引っ張られるかたちで一般のユーザーもブログをやりだすんですが、経営者や著名人と違い「誰に読ませるのか」というターゲットが不明確だった。報道記事に感想をつける、一方的に意見を書き散らすなど、せっかくの「自分メディア」なのに読ませる工夫がなかった。経営者や著名人も、自分に都合の良いことしか書かない。ブログ事業者側の問題もあります。広告やマーケティングの受け皿として、日本ではブログを性急に拡大しすぎた。

読まれるブログは、実名や正体を露出している

――草の根からメディア化したアメリカとは違った?

井上 書かれた内容の信憑性が不明なこともあって、日本ではまだ「ブログはメディアだ」とか言われてもピンときません。そんな状況なのに、ブログをビジネスとして拡大したい、ブログ界隈で主導権を取りたい人たちなどによって「ブログこそ次世代メディアだ」と煽られてしまった。もっとも、「自分たちが儲け、主導権を取るための」という但し書きをつけてもいいほどです。
で、ネット世論を作るんだ、世の中を変えていくんだ、新聞やテレビを凌駕するんだなどと、甘く囁きつつ上から目線で始めてしまったのがフツーの人を萎えさせ、ブログより掲示板のほうがやっぱり面白いとなったんだと思います。

――「きっこの日記」など以前はよく読まれ、スターのような扱いをされましたが、最近はあまり話題になりませんね。

井上 「きっこ」によって日本のブログがゲリラメディアとして認められたかというと、そうでもない。結局、誰が書いているのかもわからないし、客観性、信憑性の担保がないからなんです。アメリカのトップブロガーは実名を出し、自分で取材や調査をしていますが、日本のブロガーは基本的に匿名での論評が多い。ご指摘の「きっこの日記」も匿名ですよね。偽メール事件、耐震偽装問題を取り上げ、イーホームズ社長とのやり取りも載せ話題になりましたが、よく考えてみると、どこまでホントなんだ、と。バックにプロの記者が付いていると言われていますが、匿名のスタイリストがどうやって政治の爆弾ネタをとってきたのか。タイミングをみて、本人が露出してネタばらししても良かったかもしれません。

――匿名で書いているから誰かわからない。書いてあることが事実かどうかもわからないから、ブログから遠ざかるんですね。

井上 いまも読まれているブログは、実名や正体を露出しているか、現実社会での専門性が読んでいてハッキリとわかる人のもの。現実社会で通用している人は、ブログ社会でも通用しているわけです。趣味を追究した内容や、実体験に基づいたことを書いたものならともかく、よくわからない人による「オレが、オレが」の論評ばかりでは読むほうもツライでしょう。

まーアサヒっちゃったというほどでもないんでしょうけども、「「ブログはつまらない」という話をよく聞きます。」って、オレいま初めて聞いた(読んだ)よ。そもそも、この井上某というヒト知らないしなあ。

「ブログに飽きた」ならわかるけども、「つまらない」というのは???だ。
だって、それは前提条件だもの。個人が書いてる日記が毎日毎日面白いはずないじゃないの。
つまんない日常の中にちょっとした「オッ!」っていう話があるから面白いんじゃないか。

まーいちいちツッこむのも勤務時間中なので自重するとして、

わたしの場合ならもともとは備忘録としての不定期更新のホームページから更新が楽だという理由で始めたらハマったという流れなんですがね。ま、それに匿名のブログで日常のつまらない毎日の中からちょっとしたことを書き残す、という部分にひかれたというのもおおいにあるわけで。

日本ではもともとニュースを集めたサイトや日記サイトがたくさんあってそれなりの訪問者数を稼いでいたわけで、そういうひとたちやそれらのサイトの読者が気軽に続けられる日記としてブログは流行り出し、現在も流行中なわけで、それに引っ張られる形で「経営者や著名人」がブログを利用した、というのが正しい。で、「実名や正体を露出」していようがいまいが、面白いブログはあるし。

さらに言うなら、「ブログには中毒性がある」「気楽な国民的日記習慣は、日本に特徴的なもの」だという日垣隆の論を引用しておくだけで充分かなと。

あとはきっこの日記あたりでこのヒトたちが言わんとしていたことがはっきりした。
つまりは従来のメディアの替わりになる可能性を(勝手に)期待していたのにそうならなかったと。
まあ自分の予想・想像・妄想が外れたので「つまらなくなった」などとクダを巻いているというわけだ。

しょーもない。
そういう旧パラな考え方しかできないとこういう結論ありきな記事の一丁上がりとなるわけですねえ。
だって、ウチだって最近訪問者数がじわっと増えてるし、今まで以上の人たちが書き、そして読んでいるのになあ。

とまあなんかそういうわけですと。

「よくわからない人による「オレが、オレが」の論評ばかりでは読むほうもツライでしょう。」
あ、まあそれには賛成しないでもないですね。そういうブログあるあるって。

え?お前もそーだって?こりゃまた失礼いたしましたっ。